健康で文化的な

ただの日記です。

遺書のようなもの

 これを書きあげたら死ぬつもりはない。

 ならば、なぜこんなタイトルかといえば、やはりそういった願望があるにほかならない。

「自殺願望」「希死念慮」、自分の中に渦巻く感情を、わかりやすく言語化するならやはりそうなるのだろう。でも、死のことを考えると恐ろしくなる自分もいないわけではないし、そもそもその手段について考えると、死ぬのに積極的にはなれない。思いつく限りの自殺法はどれも苦しいし痛いし、あと見苦しいではないか。それに、後処理は誰にしてもらうのか。死んだ後もなお、人に迷惑をかける自分を想像すると、それだけでうんざりする。生きていても迷惑はかけているが、ある程度は自分で後処理できているだけマシだ。樹海に飛び込むことも考えたわけではないが、そういうところはとうの昔に「自殺の名所」化していて見回りやらなんやらあると聞く。では、結局他人様に迷惑をかける。一緒に自殺しましょうみたいな掲示板なんて論外だ。他人なんか嫌いだ。最期の最期に、自分の輪の中に他人を入れてやるなんてまっぴらごめんだ。そもそも、そうやってつるむのが嫌い、というのも明らかに今の感情を作り上げている要因の一つなのに、最期に他人とつるんで死ぬなんて愚の骨頂だ。

 25年間生きて来た。子どもの頃から友人は少なかった。知能も身体的な能力も劣っていた。幼稚園の頃の記憶。他の子と口がきけず、母に怒られた。アスレチック施設ではひとり置いて行かれ、怒られ、ひらがなが書けなくてやはり怒られた。あと、左利きなのも怒られた。左利きなのは私が不出来な人間である理由にはならないが。

 小学生の頃。忘れ物が多くて怒られた。整理整頓が出来ず、消しゴムがない、ランドセルの中がめちゃくちゃだといっては怒られた。布団に入ったあと、いつ、母が起こしにやってきてあれができていない、これができていないと怒られるかと思うと恐ろしくてびくびくしていた。「狸寝入りしてんじゃねえよ」といわれたことをなぜかハッキリ覚えている。本当に意識を失えていたら良かったのにな、と思ったのも覚えている。そうだね。本当に意識がなくて、そのまま戻らず火葬場に行っていれば良かったかもしれないね。あなたは子どもだから、他人様に迷惑をかけても、今よりは多少、許された。

 中学生の頃。友だちもいなかった。生徒手帳のカレンダーに、終わった日に丸をつけて過ごした。3年たてば終わりなのだから、まだ幸せだった。

 高校生、大学生。人生で一番満たされた時期だったと思う。小説を書く授業があった。小説を書いて、そのたび、受講生同士で投票をして、ランキングが発表された。30人ほどいて、私はたいてい、4位とか5位とかで、それで満足していた。面白かった、というような感想をもらえるたび、喜んでいた。大学に入ってからは、サークル内でやはり小説を書き、順位をつけることはなくなったけれど、感想をもらっては大喜びしていた。

 今。社会人。すべてがばかばかしい。

 非正規の図書館司書として働いていた。苦しくて、腹立たしくて、嫌でたまらなかったけれど、今思えば、図書館がやはり自分には向いていたのだと思う。すごく、悪い意味で。

 図書館には色んな人がやってくる。八つ当たりをしてくる人もいる。そのたび、私は苛立ち、自己嫌悪しながらも「これだけ苦労しているんだから、人に迷惑をかけられているのだから、私は生きていて良い」という歪んだ自己肯定感を得ていたのだと思う。無意識のうちに。

 けど、表面上は、そんなの嫌で嫌でたまらず、このまま登用試験に合格して正規職員になったらいよいよしんどいだろうと事務職への転職活動を開始した。あちこち受けて、非正規の大学職員しか受からなかった。軽率に転職することを決めて、後悔して泣いた。バカだ。さっさと死ねば良いのに、と自分を外から見ている自分は思う。

 また、図書館司書の試験を受け直せばいいのかもしれない。あるいは、もっと他の職業の試験を。

 でももう、疲れた。後何度、好きでもないスーツに身を包んで、あちこちでヘラヘラ笑っていれば良い? ありもしない志を過度に装飾して語らねばならない。自分の本来の意識がどこかに飛んでいき、なにか機械のようなものになって喋って、それを繰り返して今ここにいる。そして、今も、職場に行くたび、自分ではない何かになって、ヘラヘラしている。

 疲れた!

 生きるというのは、本来の自分を踏みつけることだ。そして、さも、自分の置いていただいている環境がすべてのような顔をしていることだ。職場の同僚で「ワンチーム」と、さも、親友同士のようににこやかに笑いあって、自分の輪の中に踏み込まれてもにこやかにもてなして、そうして本当の自分、自分の核の部分はボロボロになっていく。

 陰鬱だ。

 眠るのも困難になってきたので、心療内科に行った。薬のおかげか、ある程度、眠れるようになったが、後悔した。センセイは、私のこの馬鹿らしい感情を治せると思っているらしい。あなたがそうやって苦しくなるのには理由があるから、思い当たることを、今後メモした方が良いと言われたけれど、そんなことしたって無駄だ。これは私の生来持つ特性のようなものなのだから。

 薬をもらいに、あと、あわよくば診断書を書いてもらって仕事を辞めようと思っていたのだけれど、後者は望み薄であるし、となると病院に通うのは時間と金の無駄なので、そろそろ終いにしようと思う。薬がなくなったらまた苦しくなるかもしれないけれど、そうやって死ねるのなら死ねば良いし(病気で死ぬのなら仕方がないんじゃないか、という甘えがある。苦しいのは嫌いなのだが)、あるいはそう、もっとお節介じゃない病院に行けば良い。本当かどうか知らないけれど、カウンセリングもそこそこに薬を出してくれる医者もいるというではないか。じゃあ、そこがいい。

 こうやって書けば、なにか自分の中で整理が付くんじゃないかと思ったけれど、そんなに甘くはない。なにがなんだか分からなくなってしまった。